「勉強しなくても褒めていい」──そう思う場面はきっとあります。
けれど、その先にある“ほんの小さなほころび”に気づけているでしょうか。
子どもを責めず、でも見過ごさない。そのために今、静かに問い直したいことがあります。
こんにちは。やさしい学習塾の塾長です。
ときおり、保護者の方から、こんな言葉が届きます。
「うちの子には、今は無理をさせたくないんです」
「勉強よりも自己肯定感のほうが大事ですよね?」
どの言葉にも、お子さんを想うあたたかなまなざしが感じられます。
わたしは、それをとても尊いものだと感じています。
見過ごされがちな“ほころび”に気づけるか
「勉強しなくても、今は褒めてあげよう」。
そのやさしさが、あとになってお子さん自身を戸惑わせてしまうことがあります。
たとえば中学校では、定期テストの点数が平均点と比較され、
その結果を受けて、自分がどのあたりにいるのかが少しずつ見えてきます。
最初は「気にしない」と思っていても──
テストの点数が返ってくるたびに、まわりの話や友だち同士の空気の中で、
なんとなく「自分の位置」を感じとってしまうことがあります。
そして進路の話になると、選択肢は思っていたより限られています。
「どこかには入れる」という安心が、「行きたいところに届かない現実」として
お子さんの目の前に立ちはだかる場面もあるのです。
そんなとき、子どもは心のなかでこうつぶやきます。
「どうして今になって、“ちゃんとやらなきゃ”って言われるの?」
「今までの“がんばらなくても大丈夫”は、本当だったのかな……」
褒めるポイントの“ズレ”が残すもの
褒めることは、とても大切です。
けれど──何を、どのように褒めるかは、思っている以上に繊細なものかもしれません。
- “やろうとした”ことに気づいて、声をかけてあげる
- “迷いながらも向き合った”姿勢を見逃さずに認める
- “小さな一歩”を、そっと肯定する
そんなふうに、ほんの少し角度を変えるだけで、
褒めるという行為は、未来へつながる“灯り”のようになります。
「できたから偉い」のではなく、
「向き合ったことが、何より立派だったね」と伝えること。
それは、今すぐに自信に変わらなくても──
心のどこかに、静かに残りつづける言葉になるかもしれません。
放っておくことのリスク
「そのうち、やる気になるかも」
「気づけば、自分で動き出すだろう」
そう願って、少しだけ距離をとって見守っていた時間が──
振り返れば、“取り戻せない月日”になっていた。
気づいたときに、こうつぶやく子がいます。
「なんでもっと早くやらなかったんだろう」
「どうして誰も、ちゃんと教えてくれなかったんだろう」
そして、そばにいた保護者の方もまた、胸を痛めるのです。
「あのとき、もう少し近くに寄り添えていたら……」
けれど今なら、まだ間に合います。
ほんの少し目を向けるだけで、子どもの未来は変わっていけるのです。
「勉強がすべてじゃない」でも「勉強から目をそらしてもいい」ではない
勉強というものは、知識以上に、
「向き合おうとする力」を育ててくれるものです。
たとえば──
- 「このままではいけない」と感じて、机に向かおうとする姿
- 失敗を、静かに受け止めようとする心の動き
- 「もう一度やってみよう」と、小さく踏み出すその一歩
そうした小さな行動のなかにこそ、
これからの“自分の足で立っていく力”が眠っているのだと思います。
やさしさと問いを、両手に持って
お子さんを想って、迷って、考えて──
それだけで、すでに十分すぎるほどの愛情だと、私は思っています。
けれど今、ほんの少しだけ立ち止まって、
「見ている方向」を確かめてみることができたら。
やさしさとは、願いをすべて叶えることでも、
手を離さずに守りつづけることでもありません。
ときに立ち止まり、
その手がどこへ向かっているのかを、そっと確かめること。
それもまた、大切なやさしさなのだと思います。
子どもは、本来、自ら育っていく存在です。
私たちはその力を、邪魔せず、信じて、待てるかどうかを問われているのかもしれません。
「守る」と「導く」は、似ているようで、少し違う。
やさしさと問いを両手に持って、
また明日からの一日を、ご一緒に歩んでいけたらと思います。
わたしは塾という場で、今日も問いを持ちつづけています。
それが、ときどき、誰かの足もとを照らせたなら──
それだけで、十分だと思っています。
やさしい学習塾 塾長
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