前回の第4回では、
“再スタート”ではなく“再設計”という考え方をお話ししました。
勉強は、やり直すたびに勇気を使い果たすものではなく、
仕組みを少しずつ整えていくことで続けられる。
そして、その整ったリズムがやがて日常に溶け、
「勉強=特別な行動」ではなく「生活の一部」になっていく――
そんな学びのあり方を見てきました。
けれど、どんなに整えても、子どもたちには必ず“つまずく瞬間”があります。
そこに現れるのが、今回のテーマ――「苦手」という言葉です。
塾で保護者の方と面談をしていると、よくこんな言葉を耳にします。
「うちの子、英語が苦手で……」
「数学がどうもダメなんです」
その言葉の奥には、子どもを責める気持ちなどありません。
むしろ、心から案じている。
「苦手をどうにかしてあげたい」という愛情の表れです。
しかし――。
この“苦手”という言葉が、
ときに子どもの成長を静かに止めてしまうことがあります。
「苦手」というラベルは、便利です。
説明がつくから。
でも、便利すぎる言葉ほど、人の可能性を狭めてしまうことがあります。
「苦手」という言葉を聞いた瞬間、
子どもの中では、こんな思考が走ります。
「自分は、できない側の人間なんだ。」
たとえ一時的な苦手でも、
そう思い込んだ瞬間、心に“壁”が立ちます。
その壁は目に見えませんが、
“どうせできない”という予防線のように、
子どもの挑戦する気持ちを奪ってしまうのです。
実際、“苦手”とは「できないこと」ではありません。
多くの場合は、「わからないまま放置された時間」のこと。
小さな“つまずき”を見過ごしたまま進み、
気づけば置いていかれた――その積み重ねが“苦手”になります。
そしてさらに厄介なのは、
“苦手”の記憶が、心の中で何度も再生されることです。
たとえば、テストでうまくいかなかった日。
その悔しさを何度も思い出すうちに、
「失敗した自分」のほうが強く残ってしまう。
人は、成功よりも失敗の記憶を強く覚える生き物です。
だから、“苦手”とは能力の差ではなく、
「失敗の記憶」が重なった場所に生まれるのです。
私はよく、保護者の方にこうお話しします。
「“苦手”というのは、能力の問題ではありません。
“心の中に残っている苦手な記憶”の問題なんです。」
つまり、“苦手”とは「その教科ができない」ということではなく、
「その教科に挑戦したとき、うまくいかなかった記憶が残っている」ということ。
言葉を変えれば、
“苦手”は「心の傷あと」に近いのかもしれません。
だからこそ、
“苦手を克服する”というよりも、
“もういちど苦手と向き合う”という姿勢が大切です。
子どもが「苦手かも」と言い出したら、
まずは「どこからそう思うようになったんだろう?」と聞いてあげてほしい。
「苦手」が生まれた瞬間を一緒にたどることで、
その言葉の中にある“本当の理由”が見えてきます。
多くの場合、それは「わからなかった」ではなく、
「わからないまま時間が経ってしまった」なのです。
“苦手”という言葉は、子どもを守るための盾にも、
挑戦を止める鎖にもなります。
だから、もしその言葉を使うなら、
「まだ苦手なだけ」や「まだ慣れてないだけ」と、
そっとつけ加えてあげてください。
その“まだ”という言葉が、子どもに未来の余白を残します。
“苦手”とは、永遠の性質ではなく、
一時的な通過点です。
それをどう扱うかで、
学びが止まるか、また動き出すかが決まります。
次回・第5回第2パートでは、
その“苦手”がどこから生まれるのか――
「できない」の裏にある“わからない順番”を一緒に探っていきましょう。
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