前回は、授業という“伴走の時間”に「いない」ことが、
どれほど深い影を落とすかという話をしました。
今回はその続きとして、
「では、どうすればその影をつくらずに済むのか」という問いにお答えします。
結論から言えば、それは“早く始めること”です。
勉強の遅れは、努力の量で取り返せると思われがちですが、
実際には時間の使い方ではなく、タイミングの問題です。
どれだけ長く勉強しても、
すでに崩れた理解の層を一から積み直すのは容易ではありません。
反対に、ほんの少し早く手を打つだけで、
大きな空白を防ぐことができます。
それは、靴紐を踏んで転んでから絆創膏を貼るよりも、
転ばないように靴紐を結び直すことに似ています。
つまり、“早く始める”とは、焦りではなく予防なのです。
私はいつも、保護者の方にこうお話しします。
「小学生なら、テストで80点を切った時点。
中学生なら、定期テストで平均点を下回った時点。
その瞬間こそが“準備のタイミング”です」と。
なぜなら、その点数は「能力の評価」ではなく、
“理解のバランスが崩れ始めたサイン”だからです。
点数が落ちたのではなく、
子どもの頭の中で“つながっていた知識の線”が一部切れかけている。
だから、早く整えておく。
それができれば、後で何倍もの苦労をせずに済みます。
遅れてから始める勉強は、常に“追う”形になります。
追う勉強は、心が疲れやすい。
理解の喜びよりも、「まだ足りない」「追いつかない」という焦燥ばかりが増えていく。
本来、学びは追いかけるものではなく、並走するものです。
そして並走するためには、最初の一歩を少しだけ早く出しておくこと。
それだけで、学びの風景はまったく違うものになります。
早く始めるというのは、「先取り学習」をしなさいということではありません。
“焦らないための助走”を整えるということです。
心に余裕があるうちに、勉強のリズムを整えておけば、
どんなに坂道がきつくても、呼吸を乱さずに登っていける。
逆に、遅れてからペースを上げようとすると、
息が切れ、焦りが募り、心が先に折れてしまう。
それが、私たちが「つまずいてからでは遅い」と伝え続ける理由です。
塾に通わせるという行動は、
決して“メディアの情報に流された選択”でも“不安に負けた選択”でもありません。
それは、“未来への準備”というもっとも知的な判断です。
学びを先に整えるということは、
子どもに「自分の力で進める明日」を贈ること。
まだ余裕のあるうちに、道を照らしておく。
それが、焦りではなく、親としての愛のかたちなのだと思います。
持久走のスタートラインで、
まだスタートの合図が出る前に、急かされて走り出す子がいます。
一方で、少し早く来て準備運動をして、
足の運びを確かめてから走り出す子もいます。
結果が違うのは、体力の差ではなく、準備の差です。
勉強もそれとまったく同じです。
子どもの未来は、待てば育つ部分もあります。
しかし、理解のタイミングだけは、待つほど失われていく。
だからこそ、“早く学び始める”という決断は、
子どもの時間を奪うどころか、未来の自由を増やす行為なのです。
焦らず、迷わず、静かに始める。
それが、最も確実で、最もやさしい一歩です。
次回、第2話では、
「学びの波をつかむために、親ができる具体的なサインの見つけ方」
――“子どもが困る前に気づく力”についてお話しします。
 
          
      
             
        
            
    
       
      
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