前回は、「授業についていけているうちは塾はいらない」という話をしました。
焦って行動するよりも、いま子どもがうまく波に乗れているなら、
その“整ったリズム”を大切に見守ることが何よりだ――と。
けれどその一方で、私はもうひとつ大事なことをお伝えしたいと思っています。
それは、「授業についていけている」=「努力で勝ち取った状態」ではないということです。
それは、子どもが今、奇跡的に“条件の整った環境”に立っているということ。
私たちは、つい「頑張っているからできている」と思いがちです。
しかし、学びの安定には“目に見えない条件”がいくつも重なっています。
たとえば、授業のテンポが合っている。
先生の説明が論理的で、子どもの思考の速度に合っている。
クラスの雰囲気が落ち着いていて、質問しやすい。
家庭でも学習時間が確保できていて、生活リズムが安定している。
このいくつもの要素が偶然かみ合ったとき、
子どもは「わかる」「できる」という手応えを感じながら学べるのです。
つまり、“授業についていけている”とは、
努力というよりも、理解の循環が成立している状態なのです。
ところが、この“循環”は永遠には続きません。
なぜなら、どんなに頑張っても、
外部環境が変わればリズムも変化してしまうからです。
先生が替わったり、新しい単元に入ったり、授業スタイルが変わったり。
部活動の時間が長くなったり、家族の帰宅時間がずれたり。
たったそれだけの変化でも、
学びを支えていた歯車が、少しずつ噛み合わなくなっていきます。
理解の循環というのは、
ひとつの歯車が止まるだけで全体が重くなる構造をしています。
今まで自然に進んでいた学習が、ある日ふと止まってしまう。
それは、子どもの意欲が落ちたのではなく、
“理解の回路”がほんの少しズレただけなのです。
だからこそ、「うまくいっている今」を、
偶然ではなく“仕組みとして理解しておく”ことが大切です。
・どんな時間帯に勉強しているのか
・どんな先生の授業で集中できているのか
・どんな教科を“楽しそうに話す”のか
・家庭でどんな声かけをしているのか
こうした要素を、親が少し意識して観察するだけで、
その子に合った“学びのリズム”が見えてきます。
そしてそれこそが、将来どんな環境に変わっても崩れない自走の設計図になります。
多くの家庭では、「つまずいた原因」を探すことには熱心でも、
「うまくいっている理由」を分析することはあまりありません。
しかし、教育の現場に立つと、後者の方がずっと大切だと痛感します。
なぜなら、“うまくいっているとき”にこそ、
子どもの学び方・考え方・習慣が一番よく見えるからです。
塾でも私は、最初の面談でよくこう尋ねます。
「どんなときに一番集中できているように見えますか?」
「家で机に向かっている時間帯は、夕方ですか?夜ですか?」
その答えの中に、すでに学びのリズムが現れている。
それを見極めて守ることができれば、
子どもは大きく崩れることなく、自分の力で学びを続けられるのです。
“ついていけている”という状態は、才能の証ではありません。
それは、たまたま今、うまく噛み合っているリズムです。
だからこそ、そのリズムがどんな要素で構成されているのかを、
親子で一緒に把握しておくことが何よりの財産になるのです。
塾に通うのは、そのリズムが乱れたとき。
そのとき、初めて“整える”という意味が生まれます。
けれど、整えるためには、
まず“整っていた頃の姿”を知っていなければならない。
それが、焦らず見守るということの本当の意味です。
次回は、もしそのリズムが乱れたとき――
「授業についていけなくなった教科だけを、どう補えばいいのか」
という現実的な対応について、お話ししていきます。
         
     
            
       
   
      
      
      
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