前回は、「全部を塾でやるより、必要な部分を整える」という話をしました。
勉強とは、すべてを抱え込むものではなく、
必要な時期・必要な教科を、適切な距離で支えること。
そして、塾は“生活の補助輪”として機能するのがいちばん自然だと。
今回は、その最終章として――
塾とは何のためにあるのか。
その本質を「依存」と「自立」という観点から、改めて考えてみたいと思います。
塾に通わせる理由は、家庭によってさまざまです。
「成績を上げたい」
「受験の準備をしたい」
「家では集中できない」
どれも正しい動機です。
けれど、もう一歩だけ深く掘るなら、
塾とは本来、“自立のための練習場”であるべきなのです。
授業の受け方、復習の仕方、時間の使い方。
それを身につけるために、一時的に環境を借りる。
そこで培った「学び方」は、やがて塾の外でも機能します。
塾とは、“答えをもらう場所”ではなく、
“答えの探し方を体で覚える場所”なのです。
しかし現実には、「塾に行かせているから安心」と思いたくなる瞬間もあります。
その気持ちは、誰にでもある。
けれど、安心と依存は紙一重です。
塾を“結果の保証装置”のように扱ってしまうと、
子どもは「塾があるから大丈夫」と考えるようになります。
この思考が静かに根を張ると、
勉強の主体はいつの間にか「自分」ではなく「塾」に移ってしまうのです。
その結果、塾をやめた途端にペースを崩す子が出てくる。
それは決して、能力の問題ではありません。
“自立の準備が整う前に、塾を支柱にしていた”だけなのです。
では、どうすれば“依存”ではなく“準備”にできるのでしょうか。
答えはシンプルです。
塾での学びを、“終わりのあるプロジェクト”として考えること。
はじめに目標を定め、期間を決めて通う。
たとえば「学年末までは」「夏期講習までに」など、
ゴールを設定したうえで塾を使う。
そうすれば、子どもも「期間内でやり切る意識」が芽生えます。
塾を“終わりのある支援”として経験することが、
子どもに「自分の力で立つ」感覚を教えるのです。
そして、その区切りを迎えたとき――
私は、保護者の方にもこう伝えます。
「ここからは、いったん手を離してみましょう」と。
もちろん、不安が残る気持ちはわかります。
けれど、いったん自分の力で進ませてみる。
それでまたつまずいたら、その時は戻ってくればいい。
塾は、いつでも“再スタートの場所”としてそこにあります。
一度手を離す勇気。
それが、親にできる最大のサポートです。
「行かせる」ことと同じくらい、
「見守る」ことにも覚悟がいる。
けれど、その覚悟の中で子どもは成長します。
塾は、依存を育てるためにあるのではありません。
自立を準備し、やがて“塾のいらない力”を育てるためにあるのです。
だからこそ、塾に通うことも、やめることも、戻ることも、
どれも失敗ではありません。
それらはすべて、“学びの循環”の中にある自然な出来事です。
学びとは、続けることそのものよりも、
“整え直せること”にこそ価値がある。
そのために塾は存在します。
もし今、通塾を迷っている方がいるなら――
焦らず、構えず、こう考えてみてください。
「うちの子が、自分で立てるようになる準備を手伝う場所」
それが、塾です。
そしてその準備が整ったとき、
あなたのお子さんは、もう次の景色を見ているはずです。
次回・第3回では、
「“部活が終わったら塾”ではもう間に合わない」
というテーマで、“時間の錯覚”についてお話しします。
学びの速度は「時刻表」ではなく、「リズム」で決まる――
その真実を、少し踏み込んで見ていきましょう。
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