前回は、「理解力格差は学歴格差よりも深刻」という話をしました。
では、私たちが通う“塾”とは、本来何をする場所なのでしょうか。
今日は少し、塾の本質についてお話ししたいと思います。
多くの人が、塾を「勉強を教えてもらう場所」と捉えています。
確かに、テストの点を上げるための補習や、苦手科目を克服する場としての役割もあります。
けれど、私が長年生徒たちを見てきて実感するのは、
塾の価値は“教えること”よりも、“整えること”にあるということです。
塾とは、わからないところをその場で解決する場所ではありません。
むしろ、“わからなくならない体質”を作る場所です。
たとえば、ノートのまとめ方、先生の話の聞き方、理解した内容を整理して言葉にする力――
こうした「学び方の整備」が整えば、子どもは自然と自分で進めるようになります。
勉強とは、知識を積むことではなく、思考の地図を描くことです。
道を歩くとき、地面がでこぼこしていれば、いくら体力があっても前に進むのは難しい。
逆に、足場が整っていれば、どんなに遠い道でも歩き続けることができる。
塾がやっているのは、まさにその“足場を整える”作業なのです。
だから、優れた塾ほど「今、何を覚えたか」よりも、
「どうやって考えたか」「どう整理したか」を重視します。
答えが合っているかよりも、
数学なら、
“解き方の道筋”が自分の中に再現できるかを大切にする。
英語なら、
“文の骨格”を自分の言葉で感じ取れるかが鍵になります。
この力を育てるのが、“整える”ということです。
私は生徒たちに、よくこう言います。
「学校や塾の授業を受けることがゴールではない。
授業が終わったあと、自分の頭の中で“もう一度授業を再現できるか”が本当の勝負だよ」と。
その瞬間、教わったことは“知識”から“自分の思考”へと変わります。
そうやって自分の中で授業を再構築できるようになると、
学校の授業も、参考書も、すべてが“自分で学べる教材”に変わっていくのです。
そして、もう一つ大切なこと。
通塾とは、「親が安心して子どもを自走させるための準備」でもあります。
多くの保護者の方が、「やる気が出てから」「もう少し様子を見て」と考えます。
しかし、やる気というのは、理解が積み上がる過程でしか生まれません。
わかることが増えると、子どもは自然に前を向きます。
その循環が生まれるのは、心にまだ余裕がある“早い段階”だけです。
「まだ早い」と思ううちが、実はもっとも柔らかく理解が定着する時期です。
柔らかい土のうちに地盤を整えると、あとから大きな家を建ててもびくともしません。
けれど、地面が固くなってからでは、掘り返すだけでも時間がかかる。
学びもまったく同じです。
“整える時期”を逃すと、基礎を直すだけで精一杯になってしまいます。
塾に通わせることは、焦りではありません。
むしろ、子どもの未来を信じて、
まだ元気で柔らかいうちに“未来の装備”を整えることです。
塾とは、勉強を詰め込む場所ではなく、
「理解の地盤を固める場所」。
その地盤がしっかりしていれば、
どんな道にも、どんな困難にも、子どもは自分の足で立てるようになります。
次回は、この第0回の締めくくりとして――
「備える親は、子の自由を守る親」というテーマで、
“学びを支える親の在り方”を一緒に考えてみましょう。
コメント