前回は、「苦手教科だけ立て直せばいい」という話をしました。
授業についていけなくなった教科があれば、
そこだけをピンポイントで補う――それで十分だと。
今回は、さらに一歩進めて、
“全部を塾でやらせるより、必要な部分だけ整える”という考え方についてお話しします。
塾に通わせるとなると、
多くの保護者がまず「どの教科を受けさせるか」を考えます。
英語・数学・国語・理科・社会――。
パンフレットを開けば、五教科のコースが並んでいます。
けれど私は、いつもこうお伝えします。
「全部やらなくて大丈夫です」と。
子どもにとって、塾は生活の一部であり、
“勉強のすべて”ではありません。
学校の授業、家庭での復習、テスト前の計画、
その中心にあるのはあくまで自分の時間の使い方です。
塾が果たす役割は、その中の「補助輪」や「調整装置」にすぎません。
すべてを預けてしまえば、
子どもの“自分で学ぶ筋力”が弱まってしまうこともある。
私はよく、「塾を総合病院ではなく、専門クリニックのように使ってください」と話します。
すべての検査を一度に受ける必要はありません。
気になる教科を中心に、ある一定の期間で整えていく――。
それが、もっとも健全で現実的な学び方です。
たとえば、
「英語の基礎が少しあやしい気がする」
「数学の文章題に不安が出てきた」
そんなときは、まずはその教科を中心に、
1学期や学年末までの期間で集中して整える。
短期間でも、リズムが整えば“自分で学びを回せる力”が戻ってきます。
そのあとは必要に応じて延長したり、別教科に切り替えたり。
“一度全部やる”ではなく、“少しずつ回していく”。
これが、本当に長く続く学び方なのです。
塾に「すべてを任せる」ことは、
一見すると安心に見えます。
けれど、その安心はときに“依存”にもなりかねません。
勉強の仕方を外部に丸投げしてしまうと、
子どもは「やらされる側」になってしまう。
一方で、「今の自分にはこの教科が必要だ」と
冷静に選び取って取り組めるようになれば、
それはもう“学びの主体者”です。
塾とは、そうした主体性を再点火する場所であるべきなのです。
また、「必要な部分を整える」ことには、
保護者にとっても大きな利点があります。
限られた時間と費用を、
最も効果の高い箇所に集中できる。
そして、成果が見えやすい。
学びというのは、“満遍なく”よりも“集中して整える”ほうが、
心理的な達成感が得やすいのです。
その達成感が、次の教科への意欲へとつながります。
私はこれまで、多くの生徒を見てきました。
その中で強く感じるのは、
「少なく始めて、広がっていく」子は伸びるということです。
一教科から始めて、
「分かる」「できる」の感覚をつかんだ子は、
自分から別の教科にも手を伸ばしていく。
逆に、最初から全教科を抱え込むと、
「やらされている感」が先に立ち、学びが重くなる。
つまり、“必要な部分を整える”とは、
子どもに「学びの余白」を残すということでもあります。
その余白こそが、主体性の居場所です。
塾にできることは、
“苦手を支えること”と“自信を戻すこと”。
それ以上でも、それ以下でもない。
けれど、それができれば、
子どもは再び自分で走り出します。
だから、塾は「すべてを任せる場所」ではなく、
「再び自分で立ち上がるための整備場」でいいのです。
次回は、この第2回の締めくくりとして、
塾という存在を「依存の場」ではなく「自立の準備室」として再定義します。
通わせることも、やめることも、戻ることも、
すべてが“学びの循環”の中にあるという話をしたいと思います。
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