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第2回④/全部を塾でやるより、必要な部分を整える

前回は、「苦手教科だけ立て直せばいい」という話をしました。
授業についていけなくなった教科があれば、
そこだけをピンポイントで補う――それで十分だと。
今回は、さらに一歩進めて、
“全部を塾でやらせるより、必要な部分だけ整える”という考え方についてお話しします。


塾に通わせるとなると、
多くの保護者がまず「どの教科を受けさせるか」を考えます。
英語・数学・国語・理科・社会――。
パンフレットを開けば、五教科のコースが並んでいます。

けれど私は、いつもこうお伝えします。
「全部やらなくて大丈夫です」と。

子どもにとって、塾は生活の一部であり、
“勉強のすべて”ではありません。
学校の授業、家庭での復習、テスト前の計画、
その中心にあるのはあくまで自分の時間の使い方です。

塾が果たす役割は、その中の「補助輪」や「調整装置」にすぎません。
すべてを預けてしまえば、
子どもの“自分で学ぶ筋力”が弱まってしまうこともある。


私はよく、「塾を総合病院ではなく、専門クリニックのように使ってください」と話します。
すべての検査を一度に受ける必要はありません。
気になる教科を中心に、ある一定の期間で整えていく――。
それが、もっとも健全で現実的な学び方です。

たとえば、
「英語の基礎が少しあやしい気がする」
「数学の文章題に不安が出てきた」
そんなときは、まずはその教科を中心に、
1学期や学年末までの期間で集中して整える。

短期間でも、リズムが整えば“自分で学びを回せる力”が戻ってきます。
そのあとは必要に応じて延長したり、別教科に切り替えたり。
“一度全部やる”ではなく、“少しずつ回していく”。
これが、本当に長く続く学び方なのです。


塾に「すべてを任せる」ことは、
一見すると安心に見えます。
けれど、その安心はときに“依存”にもなりかねません。

勉強の仕方を外部に丸投げしてしまうと、
子どもは「やらされる側」になってしまう。
一方で、「今の自分にはこの教科が必要だ」と
冷静に選び取って取り組めるようになれば、
それはもう“学びの主体者”です。

塾とは、そうした主体性を再点火する場所であるべきなのです。


また、「必要な部分を整える」ことには、
保護者にとっても大きな利点があります。
限られた時間と費用を、
最も効果の高い箇所に集中できる。
そして、成果が見えやすい。

学びというのは、“満遍なく”よりも“集中して整える”ほうが、
心理的な達成感が得やすいのです。
その達成感が、次の教科への意欲へとつながります。


私はこれまで、多くの生徒を見てきました。
その中で強く感じるのは、
「少なく始めて、広がっていく」子は伸びるということです。

一教科から始めて、
「分かる」「できる」の感覚をつかんだ子は、
自分から別の教科にも手を伸ばしていく。
逆に、最初から全教科を抱え込むと、
「やらされている感」が先に立ち、学びが重くなる。

つまり、“必要な部分を整える”とは、
子どもに「学びの余白」を残すということでもあります。
その余白こそが、主体性の居場所です。


塾にできることは、
“苦手を支えること”と“自信を戻すこと”。
それ以上でも、それ以下でもない。

けれど、それができれば、
子どもは再び自分で走り出します。
だから、塾は「すべてを任せる場所」ではなく、
「再び自分で立ち上がるための整備場」でいいのです。


次回は、この第2回の締めくくりとして、
塾という存在を「依存の場」ではなく「自立の準備室」として再定義します。
通わせることも、やめることも、戻ることも、
すべてが“学びの循環”の中にあるという話をしたいと思います。

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