前回は、塾とは“教わる場所”ではなく、“整える場所”だという話をしました。
では、そこに子どもを送り出す親の役割とは、何でしょうか。
私は、こう思います。
それは「備える勇気」を持つことです。
多くのご家庭では、
「うちの子はまだ早い」「もう少し様子を見よう」と考えます。
それは、子どもを信じたいという思いからくる優しさです。
けれど、学びの世界では、
その“優しさ”がほんの少しだけ遅れて届くことがあります。
子どもが困ってから動くより、
困らないように先に環境を整えることのほうが、
実はずっと穏やかで、やさしい選択です。
それは「焦り」ではなく、「予防」。
早く動くことは、子どもを追い立てる行為ではなく、
未来を守るための静かな投資なのです。
私の塾にも、「勉強を嫌がっているけれど、どうすればいいか分からない」という相談がよく届きます。
そんなとき私は、「嫌がっているうちはまだ大丈夫です」とお伝えします。
子どもは、嫌いだと言いながらも、心のどこかで“できるようになりたい”と願っています。
ただ、その願いを自分の力で形にできないだけなのです。
だからこそ、支えてあげられる“早い時期”がいちばん大切なのです。
中学生になってから勉強が分からなくなると、
それは単に知識が抜けているという問題ではなく、
「わかる」「できる」という成功体験の積み重ねが少ないために、
自信の芽そのものが育ちにくくなります。
学習の支援は、成績を上げるためだけでなく、
“自分にはできる”という感覚を失わないようにすることでもあります。
親の目から見ると、子どもはときどき“頼もしく”見えます。
「この子なら大丈夫」「放っておいても自分でやるだろう」と思える瞬間もあります。
でも、どんなにしっかりした子でも、
成長の途中では必ず“支えの瞬間”が必要です。
心が揺らいだとき、誰かが「大丈夫、今のままでいい」と言ってあげられるかどうか。
その一言が、学びを続ける力になります。
塾は、そうした支えのひとつです。
子どもの「努力する場」であると同時に、
親の「安心の場」でもあります。
家庭の中ではぶつかってしまう課題も、
第三者の伴走者が入ることで、やさしく整理されることがあります。
塾に通うという選択は、家庭の中に“余白”をつくる行為でもあるのです。
「備える」とは、何かを恐れて動くことではありません。
子どもの未来に小さな灯をともしておくことです。
灯がある限り、道に迷っても戻ることができる。
勉強とは、まさにその灯を増やしていく作業です。
だから私は、保護者の方にこう伝えたいのです。
「早く始める」というのは、焦りではなく、
“子どもが立ち上がる場所”を守るためのやさしい行動です。
学びに遅すぎることはあっても、早すぎることはありません。
そして、塾に通うことは“依存”ではなく、“備え”です。
子どもが将来自分で立てるように、
今、地面を整えてあげる――それが親の役目です。
勉強の話をしているようで、
実はこれは「生き方の話」でもあります。
理解の層を整え、思考の地盤を固めておけば、
子どもはどんな時代の変化の中でも、自分の足で歩ける。
備える親は、子の自由を守る親です。
そして、その自由こそが、何よりの贈り物になるのだと私は思います。
次回からはいよいよ第1話、
「“つまずいてから”では遅い──勉強は持久走のようなもの」。
子どもの“学びの時間軸”を、もう少し具体的に見ていきましょう。
 
          
      
             
        
            
    
       
       
      
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