「がんばってるね」と言われると、ちょっと苦しくなる。
そんな気持ち、あなただけじゃないかもしれません。
誰かのためにがんばっていたら、
いつのまにか「自分のため」って何だったか、わからなくなっていた——。
そんな君にこそ届けたい、
“自分の言葉でがんばる”ためのブログです。
「がんばる」って言葉が、ちょっと苦しく感じるとき
「がんばってるね」
そう言われると、どこかむずがゆくなることはありませんか?
うれしいような、でも、少し苦しく感じるような。
誰かが自分を見てくれているのは、ありがたいことです。
でも、その「見られている感覚」が、重たく感じるときもある。
たとえば、テストの点数。部活の大会。学校生活のあれこれ。
「がんばらないと」って思う場面は、きっと誰にでもあるはずです。
ただ、ふと立ち止まって考えてしまうこともあるんです。
私は今、誰のためにがんばってるんだろう?
親のため? 先生のため? 友だちの視線?
それとも、「自分で決めた」ってことにしておきたいだけなのかな――。
「がんばる」という言葉には、実はいろんな色が混ざっています。
その色は、自分の意思から生まれたものもあれば、誰かの期待を背負ったものもある。
そのどちらも、君が歩んできた証です。
でも、ときにはその色の多さに、自分自身がわからなくなってしまうこともあります。
そんなとき、「がんばれ」って言葉が、胸の奥に少しひっかかるのかもしれません。
本当は、ただ少し休みたいだけなのに。
本当は、「今のままでも、大丈夫だよ」って言ってほしいだけなのに。
そう感じる君がいるなら、それはきっと――
君の中に、“本当の声”がある証です。
じゃあ、“がんばる”って、誰のため?
「がんばるって、誰のため?」
この問いに、すぐ答えられる人は、そんなに多くないのかもしれません。
「自分のため」と言いながら、ほんとうにそうだって、心から言える人って、どれくらいいるでしょうか。
誰かの顔が浮かんでしまったり、
「こう思われたくない」という気持ちが、ちょっと混ざっていたりしないでしょうか。
私たちは、たくさんの人のまなざしの中で生きています。
家族、先生、友だち、SNSのフォロワー。
それぞれの期待や評価が、知らず知らずのうちに、私たちの行動を形づくっていきます。
もちろん、それが悪いわけじゃありません。
人と人との間で生きるって、そういうことだから。
でも、もしも「誰かのため」にがんばっているうちに、
“自分がほんとうにどうしたいのか”が、見えなくなっていたとしたら――
それは、ちょっともったいないことのように思うのです。
「自分のためにがんばる」って、なんだか難しい言葉です。
でもたぶん、それは、
「自分の気持ちに嘘をつかないこと」
「ちょっとでも、自分が納得できる理由で動くこと」
そんなところから始まるのかもしれません。
そして、がんばっている自分も、
がんばれなかった日の自分も、
どちらも、自分の一部として抱きしめてあげられたらいい。
自分のためにがんばるって、きっと――
誰かに勝つことじゃなくて、
昨日までの自分と、ちゃんと向き合うことなのだと思います。
“自分のためにがんばる”って、わがままなんかじゃない
「自分のためにがんばる」って、なんだか“わがまま”に聞こえてしまうことがあります。
誰かの役に立つこと。
人のために動けること。
それは、とても大切なことです。
でもそれが、「自分の気持ちを我慢してでも、そうしなきゃいけない」という方向に向かいはじめたとき――
少しだけ、立ち止まってみてほしいのです。
たとえば君が、夜遅くまで勉強をしているとします。
それが「やりたいことだから」だったら、
きっとその時間は、自分を育てる宝物になる。
でも、もしも「期待を裏切りたくない」とか、「怒られたくない」からだったら――
そのがんばりは、いつか息苦しくなってしまうかもしれません。
「自分のためにがんばる」というのは、
決して好き勝手にふるまうことではありません。
むしろ、自分の本音にちゃんと耳をすますこと。
そして、ほんとうはどこへ向かいたいのか、静かに問いなおしてみることです。
それができる人は、きっと――
誰かのために動くときも、自分を見失わない。
助けたいと思ったとき、押しつけにならない。
その優しさには、ちゃんと「自分」という芯があるからです。
「自分のためになんて、がんばっちゃいけない」――
そんな風に、自分にブレーキをかけてしまう子がいたら、
私は、そっとこう伝えたいのです。
君が君自身の味方になることは、
決してわがままなんかじゃないよ、と。
“がんばる”を、自分の言葉で持てるように
がんばる理由がわからなくなって、
つい、やる気が出ない日があるかもしれません。
比べてしまって、自分だけが取り残されたような気がする夜もあるかもしれません。
でも、それでも大丈夫です。
だれかのためじゃなくて、
「これがいい」と自分で思えたことを、
ちいさくても、やってみようとする気持ち。
それが、自分自身の“がんばる”を育てていくんだと思います。
それはきっと、だれかから評価されるためじゃない。
まわりに「すごい」って言われるためでもない。
ただ、「自分で決めたから」「自分で動きたかったから」という、
それだけの理由で進めた一歩には、
静かだけれど、ちゃんとした強さがあります。
だから、「がんばる」って言葉が苦しくなったら、
いったんぜんぶ、カバンの中にしまってしまってもいい。
そして、自分なりのペースで、
“がんばる”を、自分の言葉で持ちなおせばいいのです。
また、ここに立ち寄ってくれたら嬉しいです。
誰かに話すほどじゃないけど、ちょっとモヤモヤしていること。
言葉にしきれない気持ち。
そんなものがあったら、コメント欄にそっと残してくれても大丈夫です。
返事がほしいときは、ちゃんと返しますし、
返事はいらないけど、ただ誰かに聞いてほしい——
そんな気持ちにも、私はできる限り寄り添いたいと思っています。
もちろん、誰かを傷つけるような言葉さえなければ、
コメント欄は自由に使ってくださいね。
私も、ずっと考え続けています。
誰かが本当に、自分の足で立てるようになるまでの“学び”について。
誰かが本当に、自分を大切にできるようになるまでの“がんばり”について。
それはきっと、終わりのない問いです。
でも——終わらないからこそ、出会える景色がある。
私は、そう信じています。
🔖 あとがき
この文章は、「やさしい塾ブログ・生徒向け」第2回として書きました。
テーマは、「“がんばる”って、誰のため?」。
たぶんこの問いに、すぐに答えを出す必要はありません。
むしろ、すぐに言葉にできないからこそ、心に残るのかもしれません。
ブログを書くたびに思うのは、
ここで届ける言葉が、どこかの誰かの中で、
ひっそり灯る小さな光になればいいな、ということです。
がんばることに疲れたときも、
がんばる意味がわからなくなったときも、
この場所が、ほんの少しの居場所になれたら嬉しいです。
だからまた、ふらりと立ち寄ってください。
言葉を交わさなくても、ここにある空気ごと、迎え入れたいと思っています。
ようこそ、やさしい学習塾のブログへ。
そして、ここまで読んでくれて、ありがとう。
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