子どもの本音に気づけていますか?
手がかからない。
聞き分けがいい。
いつも静かで、文句も言わない──
でも、その“いい子”は、本当に大丈夫でしょうか?
子どもが声を上げない理由に、大人はどこまで気づけるか。
今日はそんな「静かなSOS」に、まなざしを向けるお話です。
静かな“いい子”に、私たちは甘えてしまう
「うちの子は、手がかからないんです」
「文句も言わないし、自分からやるタイプで」
「反抗期も来てないみたいで、親としては助かっています」──
そんなふうに語られる“いい子”たちがいます。
たしかに、そういう子どもは、日々の生活の中であまり困らせることもなく、
言われたことをきちんとこなし、自分の感情を表に出すことも少ないかもしれません。
けれど、だからこそ──
私たち大人は、どこかで安心してしまうのです。
「何も言わない=何もない」
そんなふうに、静かなサインを見過ごしてしまうことがあります。
でも本当に、“何もない”のでしょうか?
それとも、“言えないだけ”なのかもしれません。
「何も言わない」子どもが感じていること
子どもが「何も言わない」とき、
それは本当に“悩みがない”ということでしょうか?
実はその裏に、こんな気持ちが隠れていることがあります:
- 我慢している。だけど、自分でそうとは思っていない
- まわりの期待に応えようとして、無理をしている
- 気づかれないように、空気を読んで振る舞っている
こうした子どもたちは、感情を出すことに慎重です。
それは性格の問題というよりも、
「迷惑をかけたくない」「傷つきたくない」という、
とても繊細な防衛反応なのかもしれません。
特に“いい子”と呼ばれてきた子どもほど、
「本音よりも、期待されている自分」を優先する癖が身についていきます。
それがいつしか、“自分でも自分の気持ちがわからない”という状態をつくり出してしまうのです。
子どもが本音を出せなくなるときの背景
よくある子どもの心の声
- 親に心配をかけたくない
- 自分で「がんばる」と言ったから、弱音を吐けない
- 文句を言ったら、わがままだと思われるかもしれない
こうした想いが重なって、子どもたちはこう思うようになります:
「言わないほうが、楽だ」
「言っても、変わらない」
けれど、それは「平気だから」ではありません。
「伝えること」をあきらめている。
「本音を出す場所がない」と感じている。
そのまま、“いい子”を続けてしまうのです。
保護者にできること ― 静かに“気づいて”あげる
声をかけるより、空気をつくる
子どもが本音を言わないとき、
「どうしたの? 話してごらん」と声をかけることは、
一見、やさしさのように思えるかもしれません。
でも、もしその子が「話せない」ことに慣れてしまっていたら──
その問いかけは、少し重たく感じられてしまうこともあります。
だからこそ、まず必要なのは、
「話させる」ことではなく、「気づいてるよ」と伝えること。
たとえば、こんなふうに:
- 「最近、ちょっと疲れてない?」
- 「なんかあったのかなって、ちょっと思っただけだよ」
- 「うまく言えなくても大丈夫だよ」
- 「話したくなったら、いつでもで話てよ」
こうした言葉は、“本音を引き出す”のではなく、
“本音を出してもいい空気”をつくるものかもしれません。
「本音を出せたこと」そのものを肯定してあげて
たとえ子どもが抱えていた本音が、愚痴や怒りだったとしても──
まずは「話してくれたこと」そのものが、大きな一歩です。
子どもの勇気を受けとめる言葉
- 「そんなふうに思ってたんだね。教えてくれてありがとう」
- 「怒ってくれてよかったよ。言ってくれて助かった」
- 「うれしかったよ、話してくれて」
「本音を出しても、関係は壊れない」。
そう感じられた経験は、子どもにとっての大きな安心になります。
何も言わなかった子が、やっと言えたひとこと。
それを「弱さ」ではなく「信頼の証」として、受け止めてあげたいですね。
結びにかえて ― “いい子”である前に、“ひとりの子ども”として
子どもは「いい子」よりも「存在」として大切に
何も言わない。
怒りもせず、反抗もせず、ただ静かに──
そんな子どもを、私たちはつい「いい子」と呼んでしまいます。
でも、その静けさの中に、
本当は気づくべきだった“声なき気持ち”が、
そっと沈んでいたとしたら──
子どもは、「いい子」である前に、
ただのひとりの子どもです。
感情があって、弱さがあって、
誰かに気づいてほしいと思っている存在です。
「手がかからない子」は、
本当は、いちばん最初に声をかけてほしい子かもしれません。
まなざしを向けてください。
言葉にならない声に、そっと気づいてあげてください。
育てようとするのではなく、育っていく力を信じること。
やさしさとは、すべてを与えることではなく、
“自分で立ち上がれる場所”を残してあげることかもしれません。
今日、ほんの少しだけでも──
その場所の灯(あか)りを、ともせていますように。
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