前回までは、
「塾は依存の場ではなく、自立の準備室」である――
そんな考え方を軸にお話ししてきました。
塾に通わせることは、焦りではなく“整える”という行為。
必要な教科を、必要な期間だけ整えることで、
子どもは自分で学びを動かす力を取り戻していく。
では次に考えたいのは、その「整え方のタイミング」です。
多くの家庭で耳にするのが、
「部活が終わってから塾に行こう」という言葉。
けれど――そこには見過ごされがちな落とし穴があります。
「部活しているから」「疲れたから」「勉強する時間がないから」――
そんな言葉を、いつの間にか口にしていませんか?
気づかないうちに、“やらない理由探し”の罠に
自分で自分を閉じ込めてしまっているかもしれません。
私は塾で、数えきれないほど多くの中学生を見てきました。
そして感じるのは、「やらない理由を探す力」だけは、誰もが天才的だということです。
「明日から」「テストが近づいたら」「部活が落ち着いたら」。
そう言いながら、リズムを止めてしまう子を何人も見てきました。
けれど、いったん止まったリズムを再び動かすには、
想像以上のエネルギーが必要なのです。
もちろん、部活をすること自体はとても大切です。
私はむしろ、部活に全力を注ぐ時期があるべきだと思っています。
体を鍛えること、仲間と支え合うこと、
悔しさや達成感を経験すること。
それらはすべて、のちに学びの「土台」になる力です。
特に運動部では、
「走り抜く」「やり切る」「チームのために頑張る」という習慣が自然に身につきます。
これは、どんな勉強法よりも貴重な力です。
でもその努力を、「だから勉強はできなくても仕方ない」という理由にしてしまうのは、
あまりにももったいない。
たとえば、100メートル走のスタートラインに立ったとしましょう。
あなたが「少し休んでから走ろう」と言っても、
レースは待ってくれません。
その一歩の遅れが、結果では何倍もの差になります。
勉強も同じです。
「止まっていた時間」そのものが、最も大きなハンデになる。
私はこれを“学びの呼吸”と呼んでいます。
呼吸は、深くても浅くても構いません。
でも止まってしまうと、たとえ短い時間でも体が苦しくなる。
勉強もまったく同じで、
一度止めてしまうと再開までに「苦しさの時間」が生まれてしまうのです。
ですから、「部活が終わったら塾に行こう」という言葉を聞くたびに、
私は静かに警鐘を鳴らしています。
なぜなら、その考え方の奥には、
“勉強は生活の外にある”という前提が隠れているからです。
本当は、部活と勉強は別々のものではありません。
むしろ、部活で培った集中力や粘り強さこそ、勉強に生かせる最良のトレーニングです。
試合で最後まで諦めない姿勢、
チームで役割を果たそうとする責任感。
その“根の力”は、机の前でも必ず生きる。
勉強は、部活で育てた心の筋肉を使って進めるものなのです。
たとえ疲れていても、10分でもいい。
少しの時間でいいから、机に向かう。
眠い目をこすりながら、単語を5つだけ覚える。
それだけでも、「止まらない呼吸」を守ることができます。
大切なのは、時間の長さではなく、“流れを止めないこと”。
続ける人は、止めない人。
その小さな差が、半年後には驚くほどの差になります。
もう一つ、覚えておいてほしいことがあります。
「部活が終わったら塾に行く」と決めている子の多くが、
“切り替えの難しさ”を軽く見ています。
部活が終わったあとの夏――
達成感と喪失感、燃え尽き、そして気の緩み。
その中で「よし、今日から勉強だ」とスイッチを入れられる子は、
実はごくわずかです。
だからこそ、“終わってから”ではなく、“やっているうちに整えておく”。
これが現実的で、いちばん負担の少ない方法です。
塾の本来の役割は、
この「呼吸の流れ」を支えることにあります。
止まらないための環境づくり――
それが、塾が持つ一番の価値です。
「時間がない」というのは、
“やらない理由”ではなく、“整える理由”です。
忙しいからこそ、生活の中に“勉強の居場所”を作る。
それが、リズムを崩さないための唯一の方法です。
次回・第3回 第2パートでは、
「勉強のリズムは、時間ではなく流れで作る」というテーマでお話しします。
短時間でも続ける人がなぜ強いのか。
止まってしまったリズムをどう再起動させるのか。
“時間の使い方”ではなく、“時間の流れ方”に目を向けてみましょう。
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