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第1回①/「まだ早い」と思う気持ちは、どの親にもある

前回は、「備える親は、子の自由を守る親」という話をしました。
では、具体的に“いつ”その備えを始めるべきなのか――
今回は、その一歩目のタイミングについてお話しします。


子どもに塾を勧めようとするとき、
多くの保護者の方が口をそろえて言う言葉があります。
「うちの子は、まだ早いと思うんです」
「もう少し様子を見てからでもいいですよね」

その気持ちは、痛いほどよくわかります。
焦らせたくない。
周りの子が通っているからといって、流されるように始めたくもない。
子どもの成長を信じたい――。
それは、親としての自然な優しさであり、信頼の形です。

しかし、勉強というのは“様子を見ている間に”静かに差が広がるものです。
この「差」は、努力不足ではなくタイミングの問題です。
子どもの理解力には、伸びやすい時期があり、
その波を逃してしまうと、次に同じ調子で掴み直すことは難しくなります。


たとえば、小学校低学年の「九九」を思い出してみてください。
あの時期に自然に覚えた子は、特別な才能があったわけではありません。
繰り返し声に出し、手で書き、耳で聞いて、
その瞬間に“体で覚える”タイミングが訪れていたのです。
それが中学・高校で学ぶ数学の基礎になります。

一方で、そのタイミングを逃してしまうと、
九九だけでなく「数の感覚」そのものを掴み直す必要が出てきます。
知識として覚えるのではなく、感覚として根づかせることができなくなる。
それが“まだ早い”と思っているうちに起きる、小さなズレの始まりなのです。


多くの親御さんが、「まだ小学生だから大丈夫」と考えます。
でも、勉強の遅れは“年齢”ではなく“積み重ね”で生まれます。
そして、その積み重ねは“時間”ではなく“理解”の上に成り立っています。

授業の中で先生が言ったことを、その場で理解できる子は、
次の授業でもその理解を土台にできる。
けれど、前回の内容が曖昧なまま進むと、
次の授業は「知らない言葉を聞きながら、その意味を推測する時間」に変わります。
つまり、勉強時間そのものが“理解のための時間”ではなく、
“想像で埋める時間”になってしまうのです。


「子どもの力を信じたい」という気持ちは、とても尊いものです。
けれど、信じることと、任せきることは違います。
信じるとは、“支える”ということ。
そして、支えるとは、“先に準備しておく”ということです。

「まだ早い」と思ううちは、実は“最も始めやすい時期”です。
心にも体にも余裕があり、学ぶことを苦痛ではなく“新しい冒険”として受け止められる。
この段階で小さく行動を起こせば、
勉強は「追いかけるもの」ではなく「並走できるもの」に変わります。

逆に、「もう少し様子を見よう」と思っている間に、
授業は静かに進み続けます。
学校は、個々のペースでは待ってくれません。
“わからないまま進む”という状態は、
子どもが思っている以上に、長い影を落とします。


私がこの仕事をしていて、いつも感じることがあります。
「遅れてから始める努力」は、美しいけれど、あまりに苦しい。
追いつくために何倍もの時間とエネルギーがかかり、
その途中で「もう無理」と心が折れてしまう子を何人も見てきました。
だからこそ、“つまずいてから”では遅いのです。


次回は、なぜ“遅れ”がそんなに重たくなるのか――
時間ではなく、「距離」で広がる学びの構造についてお話しします。

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